定住をやめた

19歳の時、京都の大学を受けて落ち、とにかく実家を出たくて親戚の家がある埼玉県川口市に引っ越した。その3ヶ月後、西武新宿線上井草駅というところの近くに人生で初めて部屋を借りて住んだ。たった半年程度済んですぐ、当時付き合っていた男性と住むために上井草から数駅先の武蔵関駅の目の前に引っ越した。1ヶ月で追い出され実家に泣く泣く帰るも、三鷹にあるシェアハウスへ数ヶ月して引っ越し住み始める。無職で家賃も払う努力もできず4〜5ヶ月くらいで出て、また埼玉県のほうに今度は友人の家に居候をする。もちろんそれも1〜2ヶ月程度。その友人が同棲をすると言い出したからである。その後、一人暮らしをまた再開するため、京王井の頭線久我山駅京王線千歳烏山駅のちょうど真ん中らへんの部屋に引っ越し、人生で初めて1年ほど住んだ。東京生活というのは実に19歳から22歳までという意外にも短いもので、無気力とそれに矛盾するかのような激しい徒労感、失うことの方がむしろ多いまま終わって、25歳まで実家で療養生活をすることとなった。

療養生活が飽き、健康を取り戻し、再び東京を目指し、ギリギリ神奈川県である登戸に部屋を借りるも、また転々とした生活が再び始まるハメとなる。登戸、その次は成城学園前、この頃にはすでに実家にいる日数の方がはるかに多くなる。今度は横浜線沿いの聞いたところのない駅名のすぐ近くに部屋を借りた。それが今年の夏である。そして、季節が変わった頃、早々にして解約通知書を不動産屋に送った。8割がたは引っ越し作業を終えたこの思い入れの何もない部屋で、これまでのことを振り返ると、そういえば母も若かりし頃は上京し引っ越しを繰り返していたらしいことを聞いたのを思い出した。なるほど、血は争えないということなのだろうか。

自分の家を持つこと(厳密には借りるだが)、一人で定住し暮らすことにどうしても慣れず、耐えがたい苦痛をいつもいつも感じ、自分の家すら拒むように帰らない日も何度かあったほどである。これはつまり、向いていないということだ。それならいっそ部屋なんかもう借りるのをやめてしまおう。実家があるから住所は持てる。これはものすごく恵まれている。この恵まれている環境を最大限に活用するべきだ。

そういうわけで、月の半分は実家にいて、もう半分は行きたいところへ行ってホテルに暮らせばいいという結論に片付いたのであった。本をとりあえず1冊、下着と服は最低限、とにかく歩きやすい靴、パソコン、少ない化粧品、スマホ、充電器、メモ帳。これさえあれば全く問題なし。これらをリュックに詰め込み、あとは軽くて小さめのバッグを1個。映画館で気になる映画をチェックし、食べたい飯のことを考える。目的地へは歩く。疲れた時だけ、交通機関を使う。

今、あるいはこの後どうするか。それだけを考えて行動するということは意外と新鮮であると学んだ。時計の針と一緒に歩き進み太陽の位置を考えながら1日を過ごすというのは本来人間が基準としていた行動なんではないだろうか?原始的とまでは言えないけれど超自然的。動物的。何がいいって、夜は疲れてちゃんと眠れることだろう。いかに自分はこれまで動いていなかったのか思い知らされた。

散歩や旅、放浪を趣味にする人を昔から憧れていたが、どうすればその人たちのように楽しむことができるのかずっと疑問であった。今やっと歩きたくなる・どこかへ行きたくなる気持ちが自分にも湧き出るようになった。自分の人生に道ができた瞬間である。

部屋の立ち合いは24日。これさえ終われば新しい暮らしが始まる。まあ、24日にはもう実家に帰ってしまうかもしれないんだが。19日からそれまでは今度は大井町に泊まる。コロナのこともあるのでそんなにフラフラもしてられなさそうなのが悲しいところだ。お金も今月はちょっとギリギリ。とりあえず記念の一記事を更新。次はもっと綺麗にまとめて書きたい。iPad用のキーボードでも買うか。