旅行があまりにも苦痛で、これはもはや修行

ついこないだ4年ぶりに京都へ行った。五条駅の近くの、トイレとシャワーが共同タイプの安くて今時なホテルだ。そこで3泊し、次は二条駅近くの似たようなホテルに泊まって、次は気まぐれであと4泊くらいしてブラブラしようと思っていた。

最初のホテルでの最後の夜、布団に潜って眠りに入ろうと安静にしていると、調子が悪いときによく起こる「眠ろうとすると気持ち悪さ通り越して直にくる吐き気」を発症してしまった。胃が疲れているんだと思う。

こういうとき、自覚を忘れるくらいにお腹がパンパンに張っていて、体を起こして動かすと少しずつ内臓が動き出して苦しいゲップが出る。ゲップが出ると、あの例えるのが難しい謎の不快感や吐き気がゆっくりと消えていく。2時間くらい安静にしたら屈伸やら腰を回したりしてお腹を整え、吐き気止めや安定剤を忘れてしまった中まだ滞在するのは怖すぎるということでホテルを泣く泣くキャンセル。翌日、お土産を買って実家へ帰った。

まるで十日間くらい長く京都にいたような感じがしたが、実際にはたったの3泊。ゆっくり歩けたのはそのうちのたった2日間だけ。それなのにクタクタに疲れてしまった。グーグルマップで気になる飯屋や和菓子屋をチェックしまくって、全部を制覇する意気込みと共に1日2万歩という目標を立ててひたすら歩く・食う・記録するわけなのだけれど、正直これが疲れる。

 

まず、チェックしている店の数が多すぎる。

うまそうなカレー、うまそうなおはぎ、うまそうな珈琲。全部食いたい!行きたい!でも1日どんなに頑張ったってご飯は2食(朝が遅いから)、喫茶店なら3つははしごできるけど珈琲を飲むとカフェインのせいでトイレがやたら近くなるので、常に何かに追われている感覚。

「あれ食べたい」「たくさん歩いて早く消化しなきゃ」「トイレ探さなきゃ」

これで毎回食べる飯がサイコーにうまかったら良いんだけど、はずれることもある。単純に美味しくなかったとき、事前にわかってたら入らなかったのに!となるとき、注文するメニューを間違えたとき、食べたいメニューが無かったときなどなど……

つまり1日に食べられる飯は2食という限られた中、ハズレを引いてしまったときのショックは大きい。このハズレを取り戻したい勢いで次の店に期待するわけだが、初めて食べる以上は運でしかない。どんなにクチコミがよくても、飯の味には人の好みよりけりだ。そうそううまい飯にはありつけない。

 

自分を動かすには好奇心が必要で、その好奇心を維持・加速させるためには楽しかったというポジティブ感情をなるべくたくさん経験して記憶すべきなのだけれど、旅が経験値低さゆえに下手くそだ。しかも子供の頃と比べると慎重になりがちな大人になった今、「損をした」というネガティブ感情を経験する回数の方がずっと多い。ネガティブな感情を経験すると、もう同じ気持ちになりたくないからやめてしまいたくなってしまう。

 

旅行をする文化のない家庭に生まれ育ってしまったので旅の経験値が圧倒的に低い以上、0から自分なりのやり方を模索しなくてはならない。

ああでもない、こうでもないということを経験しなければ我流は生まれないのだろうと言えば少しずつスキルがアップグレードされているのかもしれないけど……腹や時間やお金に限りがあると好奇心のみでそんなにたやすく足なんか動かせないというのが本音だ。

 

旅は難しい。全然楽しくない。放浪なんてまだまだできるレベルにいけていない……

 

実生活の中、いろんな借金をしたり何かに追われたり頼ったりして生きている。いかに日頃楽をしているのか、思い知らされる。

つまり、各停電車に乗ってゆっくり目的地に向かうのを損だと判断してしまうような生き方を今現在しているのだ。確かに新幹線や飛行機を使った方が疲れないし時間も短縮できる。しかし、仕事でもないのになぜ損得について考えて、いちいちネガティブな感情に振り回されなくてはならないんだろう?

時間がお金がもったいない。こういう合理的な物事の考え方がいかに人生をつまらなくしているのか、最近つくづく、つくづく思う。

 

2時間で行けるところを18時間かけて行く。

それを数字だけで考えることをやめるところから始めなければいけない。

その18時間の間、普通に過ごしたら何が起きるのか、どんな景色が見られるのか、どれだけ疲れるのか、腹が減るのか、太陽はどう沈むのか、そういった部分を損得について一切考えることなく、「この時間何がどうなった」以外の事実についてのみ発見し、体験・体感し、それについて余計な考えも持たず、漠然と過ごす。それができるようになったなら、きっとどこへ行くのも苦痛を覚えず、好奇心のまま動けるだろう。今の自分に必要なのは、そういう鎧を剥がすための訓練だ。

 

ともあれ、全然旅行も放浪もできていないが、自分がどれだけ腐っているのか気付くことができた。それだけでも十分価値のある京都旅であったように思う。これは間違いなく現代的な修行だ…

定住をやめた

19歳の時、京都の大学を受けて落ち、とにかく実家を出たくて親戚の家がある埼玉県川口市に引っ越した。その3ヶ月後、西武新宿線上井草駅というところの近くに人生で初めて部屋を借りて住んだ。たった半年程度済んですぐ、当時付き合っていた男性と住むために上井草から数駅先の武蔵関駅の目の前に引っ越した。1ヶ月で追い出され実家に泣く泣く帰るも、三鷹にあるシェアハウスへ数ヶ月して引っ越し住み始める。無職で家賃も払う努力もできず4〜5ヶ月くらいで出て、また埼玉県のほうに今度は友人の家に居候をする。もちろんそれも1〜2ヶ月程度。その友人が同棲をすると言い出したからである。その後、一人暮らしをまた再開するため、京王井の頭線久我山駅京王線千歳烏山駅のちょうど真ん中らへんの部屋に引っ越し、人生で初めて1年ほど住んだ。東京生活というのは実に19歳から22歳までという意外にも短いもので、無気力とそれに矛盾するかのような激しい徒労感、失うことの方がむしろ多いまま終わって、25歳まで実家で療養生活をすることとなった。

療養生活が飽き、健康を取り戻し、再び東京を目指し、ギリギリ神奈川県である登戸に部屋を借りるも、また転々とした生活が再び始まるハメとなる。登戸、その次は成城学園前、この頃にはすでに実家にいる日数の方がはるかに多くなる。今度は横浜線沿いの聞いたところのない駅名のすぐ近くに部屋を借りた。それが今年の夏である。そして、季節が変わった頃、早々にして解約通知書を不動産屋に送った。8割がたは引っ越し作業を終えたこの思い入れの何もない部屋で、これまでのことを振り返ると、そういえば母も若かりし頃は上京し引っ越しを繰り返していたらしいことを聞いたのを思い出した。なるほど、血は争えないということなのだろうか。

自分の家を持つこと(厳密には借りるだが)、一人で定住し暮らすことにどうしても慣れず、耐えがたい苦痛をいつもいつも感じ、自分の家すら拒むように帰らない日も何度かあったほどである。これはつまり、向いていないということだ。それならいっそ部屋なんかもう借りるのをやめてしまおう。実家があるから住所は持てる。これはものすごく恵まれている。この恵まれている環境を最大限に活用するべきだ。

そういうわけで、月の半分は実家にいて、もう半分は行きたいところへ行ってホテルに暮らせばいいという結論に片付いたのであった。本をとりあえず1冊、下着と服は最低限、とにかく歩きやすい靴、パソコン、少ない化粧品、スマホ、充電器、メモ帳。これさえあれば全く問題なし。これらをリュックに詰め込み、あとは軽くて小さめのバッグを1個。映画館で気になる映画をチェックし、食べたい飯のことを考える。目的地へは歩く。疲れた時だけ、交通機関を使う。

今、あるいはこの後どうするか。それだけを考えて行動するということは意外と新鮮であると学んだ。時計の針と一緒に歩き進み太陽の位置を考えながら1日を過ごすというのは本来人間が基準としていた行動なんではないだろうか?原始的とまでは言えないけれど超自然的。動物的。何がいいって、夜は疲れてちゃんと眠れることだろう。いかに自分はこれまで動いていなかったのか思い知らされた。

散歩や旅、放浪を趣味にする人を昔から憧れていたが、どうすればその人たちのように楽しむことができるのかずっと疑問であった。今やっと歩きたくなる・どこかへ行きたくなる気持ちが自分にも湧き出るようになった。自分の人生に道ができた瞬間である。

部屋の立ち合いは24日。これさえ終われば新しい暮らしが始まる。まあ、24日にはもう実家に帰ってしまうかもしれないんだが。19日からそれまでは今度は大井町に泊まる。コロナのこともあるのでそんなにフラフラもしてられなさそうなのが悲しいところだ。お金も今月はちょっとギリギリ。とりあえず記念の一記事を更新。次はもっと綺麗にまとめて書きたい。iPad用のキーボードでも買うか。